糸井京極陣屋

別名− 付近住所 朝来市和田山町寺内123 現在 和田山歴史民族資料館
2004/8/17 案内板アリ


京極高門

寛文8年(1668)、京極高門が豊岡より分家し、陣屋を造営したものである。所領は2000石であった。京極氏は旗本として、目付や奉行などを務めていたため当主は常に江戸であった。8代目・京極能登守高朗は若年より衆に秀でており、万延年間(1860)の江戸城炎上のおりには大いに働き、その功を賞せられ、やがて外国船の出入、貿易の開始と共に貿易筋の御用扱いとなった。また、文久2年(1862)には、第1回遣欧使節の大目付として欧州へ赴いている。陣屋は維新後、学校用地として払い下げられ、現在では門のみが当時の面影を留めている。

この、郷土文化財館・歴史民族資料館・古墳園及び寺内幼稚園の敷地は、旧寺内小学校の跡であり、江戸時代から明治まで続いた糸井京極陣屋の跡地である。
陣屋は、寛文8年(1668)に京極高門が豊岡より分家し、造営したものである。所領は2000石であった。陣屋は維新後、学校用地として払い下げられ、現在では門のみが当時の面影を残している。

             

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